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明治42年電信通り  帯広百年記念館所蔵 
1897(明治30年)

1900(明治33年)

1916(大正5年)

藤丸110年 十勝毎日新聞より 

 済んだ青空ときれいな水に恵まれている広大な十勝平野。先人は多くの苦難を乗り越えて、その中心にある帯広を築きました。水はあくまでも清く、豊かなる十勝川には夏は鱒、秋は鮭がこの美しい水を求めて群遊し、一方広大な沃野には樹木が生い茂り、獣が群れ集まり、それらを追って何時、何処から、どのような経路によって入ってきたかわからない一群の先住民族が獲物を求めてこの地に姿を見せはじめたことは想像されます。
 寛文6年(1666年)先住民族アイヌとの交易の拠点となる知行所十勝場所が松前藩によって広尾に設けられると、そこを根拠地として幾人もの先人達が十勝内陸部の探検を続け、ついに明治15年(1882年)1月、静岡県伊豆国那賀郡大沢村(今は賀茂郡松崎町大沢)で結成された「晩成社」開拓団一行、13戸27名が多くの辛苦を乗り越えて当地オベリベリ(帯広)へその第一歩を印しました。

 その帯広発祥の地に隣接した当電信通商店街は、帯広の開拓と共に歩んできた長い歴史の中にある商店街であります。おそらく世界でも唯一であろうと思われる「電信通り」の名の由来は、明治16年(1883年)5月14日晩成社移民団の入村以来、開拓団の辛苦と共に基線道路も徐々に整備されはじめ、明治24年(1891年)から始まった、後続の殖民団を想定しての区画整理事業で明治28年〜30年(1895年〜1897年)の間に開通した街道であります。

 明治27年((1897年)に、当時国道38号線(大津街道後に石狩街道と呼ばれる)と大通の交点(区画整理の基点)付近にあった郵便局が大通6丁目に移転し、明治30年(1897年)10月11日、帯広−大津間に電信が開通、これによって帯広市街地に初めて電信柱が立ったことから、それまで「晩成社通り」、「依田通り」と呼ばれていたものが、「電信通り」と今日まで呼ばれるようになりました。

 市街地の基盤道路整備が進むにつれ、そこには民家や商家が必然的に集まり「まち」の様相を呈し、繁華街を中心として商店が建ち並び商店街を形成するようになりました。「電信通商店街」街区は、その意味では帯広で最も歴史の古い地域であり、帯広の「ふる里」でもあります。

昭和40年秋祭り 東4条5丁目
 電信通りは、明治30年10月11日に帯広・大津間に電信が開通、これによって帯広市街地に電信柱が立てられた頃、これを機会に大通五丁目を中心に藤丸や三井金物店等々、多くの商店が集中的に貼り付きました。駅が西二条に出来てから駅前が中心になりましたが、終戦後西二条から大通まで飲食店や雑貨などの多くの屋台が並び、住宅、長屋、三条高校・北高校があり業種も銭湯の和倉湯・桜湯、魚屋、肉屋、板金、まさ屋、自転車店、馬具屋、スポーツ店など多くの商店が繁盛していました。

 昭和三十年代に入り人口が西帯広及び近隣町村に移動し、人口の減少と共に外崎マートの出店などで危機感を感じ、昭和四十六年十一月に石川一夫氏を会長に、電信通商店街組合として七十三名の加盟の元で発足しました。昭和四十八年第一回盆踊り大会を西別院の境内で開催し、今年で第二十七回を迎えます。
 昭和四十九年八月に二代目高橋春一理事長の元で振興組合として法人化、昭和六十三年三月に、開拓以来の賑わいを再び取り戻そうと活性化事業計画書をまとめ、平成元年十二月街路整備事業で総工費三千万をかけ、広告塔、案内板、移動花壇、電話ボックス、散水栓が完成し、各個店も大正・昭和初期を再現しようと多くの店が店舗改装に参加しました。街路整備事業と同時に「松崎新浜コミュニティ商店会」と姉妹提携の調印。  以来、物的・人的の交流は十年以上も継続し、毎年物産展を実施しています。
 当商店街も、大型店の出店や後継者不足の関係で組合員の減少はありますが、それぞれが仲間意識の信頼が深く、全員一丸で頑張っています。  厳しい商戦の中、三十件の組合員が、古いのれんを守りながら帯広の発祥の地で最初に商店街として栄えたことを想い、誇りを持って活性化に邁進したいと思ってます。
 平成12年より花と緑のパイオニア事業の実施で、「花ば咲かせ隊」を結成。商店街を花一杯で飾り、環境に優しい商店街として、たくさんのお客様に来ていただこうと、色々なイベントも企画しております。
 平成20年より、廃食用油回収事業を開始。商店街の街区内5箇所に廃食用油回収ボックスを設置し、エコ・リサイクル活動を実践。
 平成21年には街路灯照明のLED化事業を実施。
 平成22年7月には「ミナミナ広場」を開設。高齢者と障がい者の共生事業として、社会福祉施設で栽培・生産された生鮮食品や手作り加工品を販売する場を提供する。
 平成22年11月には商店街のアンテナショップとして「べんぞう商店」を開設。NPO法人・社会福祉法人と連携し、障がい者雇用にも取り組んでいます。

平成23年4月1日撮影
 平成23年3月31日、電信通り商店街が「商店街の活性化のための地域住民の需要に応じた事業活動の促進に関する法律(地域商店街活性化法)」の認定を経済産業省北海道経済産業局から北海道第一号として受け、同日、「高齢者や障がいのある方と協働・共生する商店街づくり事業」が北海道経済産業局より中小商業活力向上事業の補助事業に採択されました。

 障がい者が地域で当たり前に暮らし、就労(福祉的就労を含む)を促進して自立生活を可能とした多様な事業との連携により地域活性を図ることとを目指し、商店街に、コミュニティショップミナミナ、乾燥工房ハル、べんぞう商店、傾聴所心音、陽だまりサロンでんしん、就労継続支援B型「クッキーハウスぶどうの木」を開設し、秋には西別院境内にて「秋だうまいべや収穫祭」2011を開催しました。
さらに、平成22年に公募により決まりました「ゆるキャラでんぞうちゃん」の着ぐるみも9月に完成しイベントなどに活躍しております。

 平成23年9月には、「帯広電信通り商店街スイーツロードルネサンス事業」が全国商店街支援センターの平成23年度商店街活性化モデル創出事業に採択され、商店街発の独自スイーツ商品を開発するため試作品作りを開始しました。平成24年〜25年度に、商店街独自開発商品の本格販売と地域ブランドを確立させ、収益事業に繋げ、商店街における第6次産業として発展させていく予定です。

 平成23年3月11日の東日本大震災の発生から間もなく1年になるのを機に、当商店街では、北海道経済産業局の平成23年度地域商業活性化支援(地域商業活性化を通じた被災地支援事業・地域商業活性化支援事業)の補助を受け「災害時帰宅難民者受入れ施設整備事業」として災害に強い商店街作りを促進し、組合員や地域住民に地震や水害が発生し、帰宅や生活が困難になった場合に備えて、寝具等の生活必需品・防災用品を常備した一時避難所を平成24年3月10日より常設致しました。

 平成23年6月には、これらの事業の商店街の負担金を賄うため、収益事業を行う商店街支援会社「株式会社でんしん」を組合員等の有志11人で設立し、活動を始めています。